AYJ/AKAY Youth JAPAN

 

 
   

   

私たちYJは、国際的な社会問題に取り組んでいる団体です。世界には貧困を生み出す社会的、政治的、経済的構造が存在し、それはフィリピンにおいても日本においても同様です。

このような状況を変えていくため、私たちはフィリピンの人々と共に、日本とフィリピンの社会をよりよい方向へ変えていくことを通してすべての人が共生できる社会を目指し、活動しています。

AYJの主な活動は4つです。まず、毎年夏に行われるフィリピンへのスタディツアー。これはフィリピンの現状を知ってもらうと同時に、世界で着々と進んでいる国と国または国内の人と人の格差を多くの若者に学んでもらうことを目的としています。

次にツアー後の報告会。大学や高校などで自分たちの見てきたものを日本の人々に伝えています。3つ目は共同事業。これはフィリピンのスラム地区に住む若者が作った製品を日本で売る作業です。デザインなど仕上げは日本で行っているため共同事業と言われています。この事業を通して、かれらの雇用創出を目指しています。

そして最後に毎年春に行われるHALO☆HALOです。これはフィリピンの元プロのミュージシャン、ポールギャランさんを招いて行うライブイベントです。この収益はすべてフィリピンにある幼稚園A.K.C.D.Fに送ります。

   
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EVENT

A.K.C.D.Fは非営利の非政府組織で、カルーカンとマラボン地区の貧困都市に住む、低賃金で働くまたは雇用の無いフィリピン人の子どもたちのために教育と栄養補助を提供しています。
 

創立者は「マミー」フロデリサ・ガランさん。教師とグレコリオ・アラネタ大学(GAUF)の指導相談役といった仕事を退職した後、AKCDFを創設しました。彼女はマラボンのイーストリバーサイドの貧困地域に住むほとんどの子どもたちが、貧困の為学校に行くことができない現状を目の当りにしたことから、彼女の息子で、国際的なシンガーソングライターでもある、ポール・ガランさんの募金活動の助けをかり、イーストリバーサイドディケアセンター(ERDC)を設立しました。
 

そしてポールさんのコンサートでわずかに稼いだ2000ペソで木と釘を購入し、地区に住む腕利きの父親たちの善意で、最初の黒板、机、椅子が作られました。彼らの子どもたちがディケアセンターの一期生となり、こうして1988年から、教師マミーとともにERDCの小さな歴史が始まりました。マミーは1993年に亡くなるまで「すべての子どもは私の子ども」という理念の下、子どもたちのために人生を捧げました。
 

その後1998年にカルーカンとマラボンの地域内で、さらに7つの貧困地区へも奉仕する範囲を拡大したため、AKCDFと改名。その名称であるアバカダカユマンギは社会への意識と地域に住む人々に関心を向けさせるように育成する教育を提供するという役目があることを意味しています。

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